2021年7/19~7/25の日程で駆逐艦「蕨」及び「葦」の水中調査を行いました。
[今回の調査日程]
7/19~21マルチビーム調査、蕨前部3Dモデル作成作業 (2グループに分かれて調査)
7/22 蕨後部水中撮影
7/23~7/25 蕨後部3Dモデル作成作業
[感謝]
ワールドスキャンプロジェクト 様
日本海洋事業株式会社 様
株式会社ハイドロシステム開発 様
九州大学浅海底フロンティアセンター 様
[マルチビーム調査] 7/19
まず、マルチビームソナーという機材を用いて駆逐艦「蕨」の船体後部が沈んでいると思われる場所の海底地形を調査しました。この場所は昭和2年当時の海軍資料、新聞報道等で衝突事故現場および駆逐艦蕨の沈没位置とされてきた場所で、昨年度発見された蕨前部から北西方向に約10㎞離れています。この場所は過去にも「蕨の船体が魚探に映る」という報告が何度かされています。(境港市史上に掲載)
④が蕨船体前部、今回の調査範囲は①②の周辺。
マルチビーム調査の様子。
調査範囲で発見された海底の沈没船 (提供:株式会社ハイドロシステム開発)
データ解析の結果、調査範囲には3つの沈没船と思しき物体が沈んでいることが分かりました。その周囲には残骸のような物体が無数に散らばっています。
[ROVを用いた水中映像撮影] 7/22~7/25
次に、マルチビームの結果を参考にROVを潜行させ物体を直接映像で撮影しました。
↓水中映像
潜行していくROV。
また、同時に「フォトグラメトリ」による3次元モデル作成のための写真撮影作業も行いました。
[結果]
マルチビーム調査で確認された物体に①~③の番号を振りました。
緑色になっている海底部分が水深185m、赤い部分は高くなっている部分であり、約4~5m程の高さがあります。
①(幅約8m、長さ約35m)が駆逐艦蕨の船体後部、②(幅約8m、長さ20~30m)が駆逐艦葦の艦尾とみられています。③(長さ約15m)は詳細不明ですが、蕨もしくは葦の残骸の一部ではないかと思われます。
蕨船体後部と葦艦尾は100mほど離れており、蕨に対して葦がその東側にあるという位置関係は昭和2年当時の海軍資料にある衝突状況とも一致しています。
※衝突時の状況図 (アジア歴史資料センター所蔵)
[前部、後部のマルチビームデータの合成]
(提供:アサヒコンサルタント株式会社/株式会社ハイドロシステム開発)
↓水中映像
[船体の現状分析]
昨年度に引き続き、今年も多くの皆様のご協力によって調査が実現、無事に蕨船体後部及び葦の艦尾を発見することができました。
現在、蕨船体前後部及び葦の艦尾に水中慰霊碑を設置する計画を進めています。早ければ来年夏頃にも設置を行う予定です。
また、今回の調査に関する映像、写真等は昨年度の調査資料と合わせて9月に開催する「美保関沖事件回想大展示会」にて展示いたします。
[調査に関する報道]
TBS「NEWS23」
BSS「テレポート山陰」
TSKさんいん中央テレビ「NEWS イット!」
日本海テレビ「ニュースevery日本海」
NHK鳥取ニュース
大山テレビ(10/1)
山陰中央新聞(8/13)
産経新聞(8/16)
朝日新聞(9/13,9/16,10/2)
Comments