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​蕨・葦殉難者慰霊塔

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 鳥取県境港市花町の台場公園にある白亜の塔、この塔は1927年8月24日未明、美保関沖で起きた日本海軍連合艦隊の軍艦同士の二重衝突事故によって沈没した駆逐艦「蕨(わらび)」、大破した駆逐艦「葦(あし)」の殉職者120名の弔魂の塔です。

 当時、事故の捜索本部としていた美保湾を臨む台場丘上に、花町の有志が呼びかけ、在郷軍人会境町分会、西伯郡海軍班等とともに建設期成会を組織し、県および境町の後援と、全国各地の協賛を得て事故の翌年である1928年(昭和3年)11月に建設されました。

 事件発生後、海・陸両面の捜索に、地元の漁船や民間の汽船も加わって行方不明者の大捜索が行われましたが、数日後に駆逐艦「蕨」の五十嵐艦長以下数人の遺体が揚がったのみで、ほとんどの将兵の遺体は見つかりませんでした。

​ 慰霊塔建設には、花町の有志が中心となって建設資金の寄附金集めや、設計、建設の世話などに日夜奔走しました。

​慰霊塔詳細

 慰霊塔は高さ12.5mのゴシック式の耐火耐震、鉄筋コンクリート造りで、塔の頂にはダイヤモンド状の納骨室が設けられています。

 この納骨室には純銀製の箱に殉職者の遺骨を納め安置しており、その箱の周囲にはダイヤモンド、ルビー、碧玉、メノウ、水晶、真珠、瑠璃など全14種の宝石と、昭和年号入りの諸紙幣、それから海軍小銃弾とを浄砂に混ぜて充填し、コンクリートで密閉してあります。

 

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慰霊塔内部には海軍省下附の砲身と機雷が安置されています。砲身は駆逐艦の備砲で口径12cm(45口径)、単装砲の砲身で、機雷は昭和初期の実装備のものを触芯を除いて設置しています。

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